みなさんこんにちは!
ジョン万次郎という名前は聞いたことあるでしょうか?幕末の偉人といえば坂本龍馬や西郷隆盛などが有名ですね。
しかしこのジョン万次郎、隠れた偉人と呼ぶにぴったりな人なんです!
彼はいったいどんな生涯を送ってきたのでしょうか?
詳しく見ていきましょう!
日本でのジョン万次郎

ジョン万次郎は1827年、中濱万次郎として土佐藩(現在の高知県)で生まれました。漁師の家に生まれ、彼は次男でした。裕福ではないが貧乏でもない、普通の家庭だったそうです。
しかし、万次郎が8歳の時に父親が亡くなります。これを機に一気に暮らしは厳しくなりました。そして母親だけに頼るわけにはいかず、万次郎も働き始めました。
子守、小間使い、網の繕いなどなんでもやりました。
しかし万次郎も遊び盛りの少年です。お金を貰いながら遊ぶ方法を考えました。子守の間はおんぶをしていなければなりません。
そこで万次郎は網でハンモックのようなものを作り、そこに子供を乗せて自分は海に泳ぎにいくのでした。
米の精米も、小石を入れて米をつくことでスピードアップを図りました。
現代では創意工夫とも言える彼の行動を、当時の大人は手抜きだと叱るのでした。そんな万次郎はわんぱく坊主と呼ばれ評判が悪かったそうです。
万次郎の母親はそんな彼を見かねて、地元から100kmも離れた場所へ漁師見習いとして彼を送り込みます。土佐の漁師の世界では、14歳になるまで漁には出てはならないという掟がありました。
万次郎は14歳になるまで陸地で下積み生活を始めるのでした。
ジョン万次郎、いざ!漁へ!
14歳になった万次郎は、満を持して漁の初陣に出ます。一緒に漁に出たのは、万次郎を含め5人でした。初日、2日目と不漁が続きました。しかし3日目、ついに鯵の大群に遭遇します。
5人は漁に熱中していました。その時、万次郎の運命を大きく変えることが起きます。
天気と海が荒れ、万次郎が乗った船は黒潮に飲まれて南東の沖へと流されてしまったのです。陸はどんどん離れていき、万次郎は初めての漁で海の怖さを思い知らされたのでした。
食料も飲水も尽きた漂流7日目、ついに小さな島影を見つけます。5人は疲れた体に鞭を打って島に近づくと上陸するのは難しい岩場だということがわかります。
ジョン万次郎の乗った船は陸にギリギリまで近づき運良く大波に打ち上げられ着岸することに成功しました。
船は木端微塵になり、一人は足を骨折してしまいました。なにはともあれ、一応は陸にあがれたことに安堵した5人でした。
さてここは行ったどこなんでしょう?
5人は上陸した島が江戸から580km離れた島であったことに気づいてはいませんでした・・・まさに絶海の孤島だったのです。
鳥島でのジョン万次郎

さて、絶海の孤島まで流されてしまった5人はどうやって生き延びたのでしょうか。足を骨折した1人を残し、4人は島を探検します。そこで、洞窟を見つけました。
広くはないですが、雨風をしのげるだけでも十分価値があります。
ジョン万次郎達はそこを生活の拠点としました。次に食料と飲料水の確保が必要になります。運がいいことに、鳥島はアホウドリの生息地だったのです。
彼らの地元である土佐にも飛来していたので習性をよく知っていました。飛び立つにはかなり助走が必要で、よたよたと助走をつけている間に捕獲すると簡単に捕まえられるのです。
万次郎達にとって、アホウドリはまさに命綱でした。漂着して3ヵ月ほど経ったある日、遠くに船の影らしきものを見つけました。
助かるかもしれない、と彼らは大声をあげて助けを求めますが船は遠ざかっていくばかり・・・一度希望が見えた分、落胆は大きかったでしょう。
さらに時はすぎ、渡り鳥であるアホウドリも次々と飛び立っていきます。岩場に打ち付けられた時に漁に使う道具は全て失ってしまっていました。
アホウドリがいなくなってしまった今となっては、食料は海藻ばかり。どんどんやせ細っていきました。
絶望感

さらに地震に見舞われ、拠点としていた洞窟の一部が崩れ落ちてしまいました。
もう本当にだめかもしれない・・・という絶望が彼らを襲いました。
いつでも知恵を絞り、諦めないという不屈の精神をもった万次郎も「あの時ばかりはもうだめかと思うときがしばしばあった」と後年に述べていたそうです。
そんな絶望の中にいたある日、いつも通り浜辺で食料を探していると、遠くに船の影を見つけました。じっと目を凝らしていると、船がこちらに近づいてきたのです!
洞窟に戻って仲間に知らせ、ケガをしている1人とその付き添いを残し、3人で浜に向かいます。着物を振って叫び、助けを求めました。
しかしその大きな船は何事もなかったかのように通りすぎてしまったのです。3人はその場で崩れ、泣きました。
同じ日の午後、沖合4kmほどのところに同じ船が停泊しているのを見つけました。
その船から小さな船が降ろされ、まっすぐこちらに向かってくるのです。再度洞窟に戻り、3人で助けを求めに浜へ向かいました。
すると今度は気づいてもらえたのです!
助けにきたのは異人?

小舟に乗っていたのは異人達でした。その異人達は、泳いで来いというようなジェスチャーでなにかを叫んでいました。
波が荒く、それ以上こちらに近づけないようでした。3人は顔を見合わせて考えます。海が怖かったのではありません。
3人とも、異人を見るのは初めてでした。なにをされるかわからないという不安が心をよぎりました。
しかし、躊躇している場合ではありません。
万次郎は海に飛び込んで小舟に泳ぎ着き、異人に引き上げてもらいます。
そんな万次郎の姿を見て、残りの2人も後に続きました。
そして万次郎は身振り手振りであと2人が島に残っていることを伝え、1841年5月9日、ついに5人は救助されたのです。
無人島での生活は413日にも及びました。
彼らを助けた船は、アメリカのジョン・ハウランド号でした。