夏の夜は暑苦しいもの。そんなときには、少し寒くなるような、怖い話が恋しくなりますよね。
怖い話と言えば、テレビや雑誌で特集されるような実話体験系が思い起こされるかもしれません。もしくは、ひたすら「恐怖」を前面に押し出したホラー映画を想像する人もいるでしょう。
それぞれに違った恐怖感があり、いかにも「夏の風物詩」です。しかし、今年の夏は趣向を変えて古典怪談に触れ合ってみてはいかがでしょうか?
そこで今回の記事では、日本の代表的な古典怪談集である「雨月物語」をご紹介していきます。
恐怖だけではなく魅力的な妖しさを放つ物語に、暑さも忘れてしまいますよ。
そもそも、「雨月物語」って?
「雨月物語」は、江戸時代に上田秋成によって書かれた怪異小説集です。
9編の短編で構成されており、日本や中国の怪異譚を軸に創作されました。
雨月物語の大きな特徴は、人の心の描写にあると言えるでしょう。
怪異小説といえども、ただひたすら「恐怖」を押し出す訳ではありません。人間であれば誰しもが持つ妬みや愛憎。そういったものが、怨霊や化け物の背景に流れているということを、雨月物語は明示しているのです。
この辺りは、雨月物語の魅力にも関係していますので、後に項目を設けています。ぜひ、読んでみて下さいね。
「雨月物語」のおすすめエピソード3選
雨月物語には、先に挙げたように9編の小説が収録されています。
それら全てに特色があり、それぞれ魅力があります。しかし、全てをご紹介することは難しいため、ここではおすすめの(筆者が好きな)「ザ・雨月物語」的なエピソードを3つ選んでみました。
簡単なあらすじをご紹介しますので、物語の雰囲気を味わってみてくださいね。
「雨月物語」浅茅が宿(あさじがやど)
下総の国(千葉県)に、勝四郎とその妻・宮木が住んでいました。勝四郎は裕福な家の出だったものの、家業を嫌い、家計に余裕はありませんでした。そのため、勝四郎は京へ行商にいくこととなります。
宮木とは、「秋には帰る」と約束をしました。
戦乱の世の中。いつ焼け出されるかと不安に感じながらも、宮木は一人で夫の帰りを待ち続けます。しかし秋になっても、一向に勝四郎は帰ってきません。勝四郎は戦や病によってによって道を塞がれ、帰る事も、便りを出すこともできなくなっていたのです。
結局、そのまま7年間を京と近江で過ごすこととなりました。
勝四郎は宮木が死んでしまったものと思い込んでいました。それでも、宮木への気持ちが無くなる訳ではありません。そこで、彼女の墓を作るため故郷に帰ることを決心しました。
10日間かけて故郷に帰り着いた勝四郎は、荒れ果てたかつての我が家を発見しました。恐る恐る声を掛けてみると、中から女性が姿を現しました。それは、垢だらけで美貌は衰えていましたが、確かに妻の宮木でした。
二人は再会に喜び合い、共に抱き合って眠りました。
次の日勝四郎が見たものは、野に返りそうな程荒れ果てたかつての我が家。その上、共に寝ていたはずの宮木の姿はありません。
勝四郎がかつて寝所だった場所を見てみると、宮木の辞世の句が見つかりました。ここで、勝四郎ははっきりと、宮木の死を悟ったのでした。
霊になっても待っていた妻・宮木
さりともと思ふ心にはかられて 世にもけふまでいける命か
「雨月物語 癇癪談」新潮日本古典集成 P55(浅茅が宿)より引用
これは、宮木が今わの際に読んだ短歌です。勝四郎が見つけ、妻の死を知った切っ掛けとなるものですね。
あなたは、この詩にどんな感情を読み取るでしょうか。というのも、この短歌が「浅茅が宿」のストーリーを表す、最も象徴的なものだと考えることができるからです。
夫が帰って来ないことへの理解・失望、多少の恨めしさ、悲しさ。そして何より、もう一度夫に会いたいという気持ち。
たった31文字しかないのに、また古い言葉であるのに、なんとなく、ダイレクトに宮木の気持ちが伝わってきますよね。
怪談と言えば、怖い怨霊や悪霊がつきものです。しかし、宮木は悪霊でも怨霊でもありません。多少の恨みつらみはあれど、勝四郎をどうこうしたい、という気持ちはないのです。
あるのはただ、勝四郎に対する思慕の気持ちのみ。執着心と考えることもできますが、宮木は夫のことを愛しており、最後まで信じていたかったのでしょう。
「浅茅が宿」は、雨月物語の中でも最も悲しいエピソードに感じるのです。
「雨月物語」吉備津の窯(きびつのかま)
昔、吉備の国(岡山県)に井沢庄太夫という豪農が住んでいました。しかし、その1人息子正太郎は遊び人で、まともに家業を継ごうとしません。
そんな正太郎に、吉備津神社の神主の娘・磯良との結婚話が持ち上がります。器量も性格も優れていると評判の娘でした。
話はとんとん拍子に進み、吉備津神社では二人の結婚の吉凶を占うために「御釜祓いの占い」を行いました。しかし、その結果は「凶」。
それでも二人の婚儀は進められ、晴れて夫婦となったのです。
磯良は夫と舅姑に良く尽くしました。しかし正太郎と言えば、元来浮気性で不真面目です。結婚して落ち着くはずがなく、袖という若い女性と共に駆け落ちをしてしまいました。
磯良は深く傷付き、正太郎への恨みの中で命を落としてしまいます。
そんな折、袖は原因不明の病にかかってり、正太郎の看病もむなしく亡くなってしまいました。
これが、怨霊・磯良の復讐の始まりでした。その復讐は、正太郎が磯良に取り殺されるまで続いたのです。
怨霊の代名詞・磯良
「浅茅が宿」が雨月物語の中で最も悲しいエピソードならば、「吉備津の釜」は最も恐ろしいエピソードだと言えるでしょう。雨月物語の代表作でもあり、知っている人も多いのではないでしょうか。
美しく・気立ての良い磯良が恐ろしい怨霊に・・・・
怨霊・磯良が正太郎の前に姿を現したとき、その姿は生前とは大きく違うものでした。尋常ではない肌の青白さ、折れそうなほどにやせ細った体、どんよりとした目。
顔の色いと青ざめて、たゆき眼すざましく、我を指したる手の青くほそりたる恐ろしさに、「あなや」と叫んでたふれ死す
「雨月物語 癇癪談」新潮日本古典集成 P94(吉備津の釜)より引用
この描写は凄まじいものです。古語で読みにくいかもしれませんが、磯良がどのような状況下・心境で亡くなったのか手に取るように分かります。
元々が美しい女性であっただけに、怨霊としての恐ろしさが際立ちますよね。
それにしても、磯良やお岩さん(四谷怪談)などのように苛烈な復讐を果たす怨霊は、元美人であることが多いのは何故なのでしょうか……
「雨月物語」青頭巾(あおずきん)
昔、快庵禅師という、非常に徳の高い僧がおりました。
美濃の国(岐阜県)で夏の修行を終えた禅師は、奥羽(東北)で秋を過ごそうと旅立ちました。そうして、禅師が下野の国(栃木県)の富田という村に入ったときのことです。
禅師は大きな家に立ち寄り、一晩の宿を求めました。しかし、禅師の姿を見た村人は口々に「鬼が来た!」と恐れおののき、家の主人は武器まで持ち出す始末です。禅師は村人の誤解を解き、その家の客人となりました。
家の主人は禅師に、村人が彼を鬼と勘違いした理由を話して聞かせます。
何でも、その村は鬼に悩まされており、その正体は山寺に住む僧だと言うのです。その僧は、かつては高い徳を持つ人物だったのでした。しかし、美しい稚児を愛するあまり、その徳を失っていきました。
その年の四月に、僧が愛した稚児は病で亡くなってしまいます。僧はそれを悲しみ、遺体の埋葬もせずに、遺体の顔に自身の顔を寄せ、稚児の手を握りしめながら日々を過ごしていました。
やがて遺体は腐り始めます。
しかし、それは僧にとって辛い、耐えられないものでした。彼は遺体の肉を口にし、骨をすすり、全て食べつくしてしまったのです。
以来、僧は人間の肉を求め、村に降りてくるようになっていたのでした。
そうした話を聞いた禅師は、次の日、山寺へと向かいます。山寺に声を掛けると、痩せさらばえた僧が現れました。禅師はその僧に、一晩の宿を求めます。
日が暮れ、真っ暗になった寺の中で、禅師は黙って座っていました。目の前を、件の僧がいったりきたりします。彼には禅師の姿が見えていないようです。
「どこに行ったんだ、あのくそ坊主。ここに座っていたはずなのに」
僧は禅師を食おうとしていたのです。
生きながら鬼になる
我あさましくも人の肉を好めども、いまだ仏身の肉味をしらず。師はまことに仏なり。鬼畜のくらき眼をもて、活仏の来迎を見んとするとも、見ゆべからぬ理なるかな。あなたふと。
「雨月物語 癇癪談」新潮日本古典集成 P141~142(青頭巾)より引用
この「青頭巾」は、これまでご紹介したエピソードとは、大きな違いがあります。
その大きな違いとは、鬼となった僧が死霊ではないということです。この僧は、物語最後に骨だけを残して消え去ります。しかし、禅師が最初に訪れた段階では、おそらく彼は「生きて」います。
「生きながら鬼になる」
死んで悪霊となるより、恐ろしいことではないでしょうか。
作中、鬼となった僧は自分の置かれた状況を理解していました。人肉を好む自分。人肉を食べたいという渇望。そして、それがおかしなことであるという自覚。これは、死霊ではありえません。
時間が進んでいる(生きている)からこそ、自分と他人の乖離を感じることができるのでしょう(かといって、是正出来る訳ではありません。欲望は、常々強いものなのです)。
「人を食べたら鬼になる」「人肉を好んだら鬼になる」
これらは確かに、日本的な鬼のイメージです。しかし、恨みや嫉妬から鬼になる場合あります(般若など)。つまり、鬼になる切っ掛けは身近な所に有るのです。
意外と、人と鬼の境目は曖昧なのかもしれません。
「雨月物語」の魅力とは?
雨月物語は古い物語を翻案したものなので、ストーリーそのものは基本的な怪談です。ありきたりであり、雨月物語以外でも読んだことのあるような、良く言えば「馴染みのある」ものがほとんどです。
しかし、長きにわたって雨月物語は愛され続けてきました。映画や小説、漫画などの題材ともなっています。
何故、雨月物語はこれほど愛されているのでしょうか。
ここでは、雨月物語が愛される理由、その魅力を考えていきたいと思います。
「雨月物語」色濃く香る、色っぽさ
色っぽい怪談。素敵ですよね。
例えば、雪女や九尾の狐の伝説は、怖さと色気が混ざり合った物語の代表です。これらの伝説は今も人気があり、色々な作品の元ネタにも使われています。
雨月物語には、正に上記のような「色っぽさと怖さが入り混じった」作品が多いのです。そういった描写が明確に描かれている訳ではありませんが、現代語訳版を読んでも、原文を読んでも、濃厚に香ってきます。
そうして読み進めるうちに、恐ろしくあでやかな世界観の虜となってしまうのです。
わかりやすくこうした魅力を感じたければ、「蛇性の淫」を読んでみて下さい。蛇の化身(相当な美女)に魅入られた男性の話で、雨月物語内でも屈指の人気を誇ります。
魔性の物に魅入られる恐ろしさ。そして、それが持つ破壊的な魅力。
まるで蛇に絡みつかれるような、題名通りの濃厚な「色」を感じることができます。
少しひねった色気を感じたければ、「青頭巾」をおすすめします。
青頭巾は先にご紹介した通り、人を食べて鬼になった僧の話です。一体何が色っぽいの? と思うかもしれませんが、僧が人を食べる切掛けとなった感情を考えてみましょう。
カニバリズムと愛情は、かなり近しい間柄なのです。
また、当時によくあったと言われる、仏教僧と稚児の同性愛的関係を表してもいるのでしょう。
「雨月物語」怪談の裏にある、人の心
怖い話や怪談では怨霊や化け物、もしくは、それらがまき散らす恐怖に焦点が当たりがちです。ときには、恐怖そのものをテーマにしており、何がその恐怖をもたらしているのか分からないものもありますよね。
それはそれで、訳の分からない不気味さを感じて面白いものです。
しかし、雨月物語はこうしたホラーと一線を画しています。雨月物語のテーマは怨霊や恐怖にあるのではなく、人の心そのものにあるからです。
何故、恨みを抱いたのか。その背景にあるものは何なのか。人が持つ執着心や愛着心、欲望、妬みや嫉妬。
人の心の描写に大きく筆を割くことで、怪異の存在感は強くなります。恐怖の象徴としての怪異ではなく、1人の人間として考えることができるようになります。
例えば女性で、「吉備津の釜」の正太郎に同情できる人がいるでしょうか? 正太郎は、根本的に最悪な自己中男。どちらかと言えば磯良に同情し、感情移入してしまう人が多いと思います。
恐怖や怪異を通して、人そのものを見る。
雨月物語の魅力が色あせないのは、そうした楽しみ方ができるからなのでしょう。
「雨月物語」とは?浅茅が宿・吉備津の窯・青頭巾怪談話・まとめ
いかがでしょうか。
古典文学は一見取っつきにくく、どうしても尻込みしてしまいがちですよね。難しく、気合いを入れて読まなくてはいけない。そんなイメージを抱いている人も少なくないと思います。
しかし、雨月物語はこの壁を突破してでも、読んで欲しい作品です。一つ一つが短く読みやすい他、様々なバージョンで現代語訳化されています。
是非一度手に取って、雨月物語の世界観を味わってみて下さい。怖くて美しい、妖しさ満点の世界にどっぷりと浸ることができますよ。