古代の歴史上の人物といえば、どんな人物を思い浮かべますか?歴史が苦手な人は、あまり多くの人物は思い浮かばないかもしれませんね。
それでも、聖徳太子の名前くらいは聞いたことがあるのではないでしょうか?
日本最初の世界遺産・法隆寺にまつわる人物、聖徳太子(しょうとくたいし)!
飛鳥時代の出来事として歴史の授業で覚えたことのほとんどは、この聖徳太子が関係しています。
それほどのスゴい人物なのに、その後の歴史にはあまり聖徳太子の痕跡が残されていませんね!どうしてなんでしょう?
突然現れて、突如消えてしまった聖徳太子。
実は実在否定説があることを知っていますか?古代のヒーロー・聖徳太子はいたのかいなかったのか?
今日はその聖徳太子の真相に迫ってみたいと思います!!!
聖徳太子がいなかったと思われる理由
西暦574年に生まれ、50歳で亡くなった聖徳太子。
50年間の人生の中で聖徳太子が行ったことを見てみると、その偉大さがわかります。
その他にも、大阪の四天王寺など多くの寺院の建立や書物の編纂などを一人で立案し、実行したといわれています。
もちろん全てを一人で行ったわけではなく、遣隋使と呼ばれる小野妹子(おののいもこ)らが隋へ渡ったように、様々な面でサポートを行った人たちはいたはずです。
それでも、まだまだ歴史の浅い日本で、聖徳太子が行った政策の量が膨大なことに違いはありません。
本当に、これら全て聖徳太子が一人で成し遂げたことなのでしょうか?
だとしたら、実質35年ほどの間にこれだけのことを行うなんて、現実味がないですよね。もしくは本当に人間離れした能力の持ち主だったのか・・・。
聖徳太子実在否定説は、本人の功績のあまりの大きさから言われたことでもあるのです。
聖徳太子の本名・厩戸皇子にまつわる都市伝説
「聖徳太子」というのは、死後に彼の功績を評価して送られた名前です。
本当の名前は、厩戸皇子(うまやどのおうじ)といいます。馬?宿?の王子?どこか奇妙な名前ではありませんか?
実は聖徳太子の生まれた場所は、馬小屋の前だったというのです。だから、「うまやどのおうじ」。これはウケ狙いの話ではありませんよ。
イエスキリストと聖徳太子の共通点
同じく馬小屋で生まれた人物といえば、あのイエス・キリストです。この共通点から、聖徳太子って神の生まれ変わりなの?と思う人もいるかもしれません。
でも、こんな偶然の一致が本当にあるでしょうか?
おそらく何らかの理由でキリスト生誕の伝説を聞いた人が、これを聖徳太子に置き換えたのだと考えられます。
なんとも安直な考えですが、今のように情報があふれる時代ではないからこそ、通用したのかもしれませんね。
同時に10人の質問を理解できる
そして、厩戸皇子(聖徳太子)の逸話の中で最も有名なものといえば、確実にこれでしょう。
1キロ先の音を聞き分ける犬もびっくりの聴覚!!
このエピソードから、「豊聡耳(とよとみみ)」というニックネームがついたのだそうです。
また、中国の仏教宗派でのちに日本でも定着する天台宗の開祖の生まれ変わりだったという話もあり、厩戸皇子(聖徳太子)伝説には限りがありません。
聖徳太子というヒーローが必要だったワケ
厩戸皇子は多くの飛鳥時代の書物にも記載されており、実在した人物だとされています。
しかし、「聖徳太子」という名前が死後つけられたこともあり、「厩戸皇子」と「聖徳太子」は同一人物だったのかを疑問視する声もあがっています。
“聖徳太子はいなかった”というよりも、“作られた人物像”という方が正しいでしょうか。
実は、当時の日本には架空の聖徳太子像を仕立てる必要があったのです。
それは日本の国際的な立場と、新政権の安定のためだったと考えられます。
日出ずる国の国際社会へのアピール
聖徳太子が隋へ遣隋使を送ったのは、今の中国との交易をするためです。
高度な文明・技術を日本に取り入れて、発展させていくためにも必要な政策でした。
でも、世界四大文明のひとつとして長い歴史を持つ中国の当時の王朝・隋が簡単に交易をしてくれるでしょうか?
海を渡った先にあるという知らない島国(日本)と対等に接しようなんて、考えにくいですよね。
そこで隋に対して、日本も長い歴史を持つ大国であることを教える必要があったのです。
「10人の話を同時に聞く超人・神の生まれ変わり聖徳太子!」
このように隋の皇帝も耳を傾けるキャッチフレーズを持つ人物として、「架空の聖徳太子像」が必要だったのではないでしょうか。
ある事実を隠蔽するための隠れ蓑
国際社会に華々しいデビューをする一方で、国内政治の安定も必要としていました。
当時の二大勢力であった蘇我氏×物部氏の勢力争いが、蘇我氏有利で進み始めます。
聖徳太子は、その生まれからも蘇我氏の系統であったのですが、功績からもわかるようにとても優秀な人物であり、天皇からの信頼も厚かったと考えられます。
政権を自分たちのものにしたい蘇我氏一族としては、聖徳太子は邪魔な人物というわけだったのです。
そして、妻の死を追うようにして突如亡くなった聖徳太子。
実は、聖徳太子は蘇我氏によって暗殺された可能性があるのです。さらに、聖徳太子の息子たちは蘇我氏との権力争いの中で死んでいきました。
つまり、ここで聖徳太子の子孫は途絶えることになったのです。
これらの出来事を踏まえ、聖徳太子は蘇我氏により殺されたのではないかと推測されています。
しかしこれほど日本に貢献した人物を殺してしまうなんて、蘇我政権のイメージダウンにつながりますよね。
そこで聖徳太子を日本のヒーローとして語り継ぐことで、イメージダウンを防ぐ必要があった、というわけなのです。
聖徳太子はいなかった!?古代のヒーローの真相に迫る!まとめ
古代日本を国際社会にも通用するような国にしようと、聖徳太子は次々と政策を進めていきました。
その姿を見ながら、出来上がった安定した国を自分のものにしようとしていた蘇我氏。
聖徳太子を人間離れした伝説の人物のように思われるようにしたのも、その本当の姿を消してしまうための策略だったのでしょうか。
そして現在、超人的な能力を持つ聖徳太子像は日本中に広まり、蘇我氏の策略は成功したといえますね。
ですが、実は今まで聖徳太子像だといわれていた絵は、違う人物であるといわれはじめています。
歴史の教科書からも消されているというのですから、驚きですよね。
こうして、聖徳太子は功績がありながらも実像がわからない人物として、その存在さえ疑われ続けていくのでしょうか・・