明治維新と聞くと、徳川幕府を官軍が打ち倒しそれまでの旧い体制から、日本が近代国家へと歩みだした、、とイメージする人も多いようです。
当時日本はどこの植民地になることなく列強に肩を並べるほど強い国になったのだ!と思っている方もいますよね!
もちろんそれは間違いではありませんが、でも実は明治維新は、日本国内だけの権力争いという問題だったわけではないのです。
それまで200年以上も、いわゆる「鎖国」を続けて来た日本が、ペリーのやって来た1853年からたった15年で新時代を迎え、その後次々の近代化を進めることができたのでしょうか?
明治維新の真実とは、実は黒幕がいるということをご存知ですか?すごく陰謀論的な話になるのですがその人物とは一体誰なのか気になりますよね!
一体、明治維新とはなんだったの?
明治維新とは、幕末に起きた、倒幕つまり徳川幕府体制を倒し、天皇の元に新しい政治体制を作り、欧米列強に負けない近代国家への改革を言います。
一般的にペリーが黒船に乗ってやってきた1853年頃からが幕末。
そこから15年余りの間に幕府側が天皇に対する朝敵となり、倒幕勢力である薩摩(現鹿児島県)や長州(現山口県)などの官軍に倒されて、1868年に明治時代を迎えることになります。
およそ260年続いた徳川の時代を、そして700年も続いた武士の世の終焉という、大きな変革でした。
明治維新の真実・実は思想の違いによる争いではなかった?
明治維新とは、開国派と攘夷派(外国嫌い!日本に入れるな!という人たち)の思想の違いによる内乱だったわけではないのです。
きっかけはそうだったかも知れませんが、攘夷の先鋒だった薩摩藩も長州藩も、実際にイギリスなどと戦ってその圧倒的な軍事力の差を見せつけられました。
そして「外国はすごい!その力を日本にも取り入れて強くなろう!」ところっと方向転換してしまったのは事実。
列強各国がこぞって開国を迫って来ていた幕末期、弱体化した幕府では列強の植民地にされてしまう、日本の危機を乗り越えることができない・・・・
明治維新とは、そう考えた人たちによる政権交代のクーデターであり、そしてそこに「日本を近代化して開国させ、交易をして儲けたい」という列強各国の思惑が絡みついたものだったのです。
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当時の世界情勢とは
当時は列強各国が世界中で植民地支配をし、交易をして利益を得ていました。
航海技術の向上や産業革命などで世界は大きく変わっていく中、はるか極東の日本にも各国が交易を求めて開国を迫ってくるようになります。
当時日本にとって最も衝撃的だったのが、1840年のアヘン戦争です。
中国はイギリスから持ち込まれたアヘンにより人々がアヘン漬けにされ、それをやめさせようとするも失敗して逆にイギリスから攻め込まれてしまいます。
この戦争で中国は莫大な賠償金と香港を99年間割譲という不平等条約を結ばされたのです。
なんとも日本にとっては恐ろしい戦争です。
日本にとって中国は高度な文明を持ち、政治体制や律令、文化、あらゆる面で参考にしてきた「見習うべきすごい国」だったのに、列強に付け込まれボロボロになった姿は、列強の強さと恐ろしさを日本に思い知らせることになります。
中国のようにならないために、日本は開国をして優れた技術、文化を取り入れる方向へと舵を切ることとなったのです。
ペリーが来て初めて「開国どうしよう!!」と慌てたわけではなかったんですね
。以前からちゃんと考えていたようですね。
明治維新の黒幕とは
明治維新は、例えば関ヶ原の合戦、というようにXX年に起きた事件・出来事、というわけではないので、「黒幕」と言われてもピンとこないかも知れません。
実は明治維新の黒幕は「英国」であり、その実行者はグラバーだった、という説があります。
一体どういうことなのでしょうか?
グラバーとは何者か
トーマス・ブレーク・グラバーは、スコットランド出身で幕末の日本で活躍した商人です。
世界遺産となっている長崎のグラバー園にある旧グラバー住宅が有名ですね。
グラバーの貿易会社は「グラバー商会」という名前ですが、それは「ジャーディン・マディソン商会」の日本の代理店であり、「ジャーディン・マディソン商会」とは「イギリス東インド会社」が前身です。
ではそのグラバー商会が何を扱っていたかというと、武器や弾薬でした。
グラバーは日本国内で倒幕派でも幕府派でも、そういった敵味方の内情に関係なく武器を販売していました。
もちろん、グラバーが明治維新をそもそも引き起こしたわけではないものの、グラバーおよびイギリスの思惑による介入は、明治維新の行方に大きな影響を与えていたと考えられています。
ちなみに、当時幕府側はフランス人を招いて軍備を強化していました。
イギリスとフランスは敵対関係ですから、日本における代理戦争との見方もできるかも知れませんね。
明治維新より前に近代化は進められていた
産業革命やアヘン戦争などの世界の状況について、日本は「鎖国」していたとは言えオランダなど一部の国とは交易があったので、幕府はしっかり把握していました。
1845年当時の幕府の最高官僚である老中首座に着任した阿部正弘は、大変優秀な人でした。
阿部正弘は世界情勢を受けて、日本も開国して交易をし、産業革命を行い国を富ませ軍事力も上げなければならないと考えていたのです。
そして実は明治維新のずっと前から「開国」「富国強兵」をすでに思い描き、その実現のため「安政の改革」を進めていたのです。
明治維新の先駆け「安政の改革」
阿部正弘は全大名から庶民に至るまで意見を集い、国を強くするために外国から蒸気軍艦を購入しました。
身分が低くても有能な人材を登用し、洋式砲術を学ぶ講武所を開所します。さらにオランダ人を講師に雇い入れ、長崎海軍伝習所で海軍を学ばせます。
洋書調所という洋学を学ぶ場を作り、それはのちの東京大学へと発展していくのです。これらは1850年代に行われたことですが、こういった政策はすべて明治新政府にも受け継がれていくことになります。
阿部正弘が広い視野を持ち行動力のある有能な人物であるのはもちろんですが、その人材をトップ官僚に据えて政策をやらせていた当時の幕府は、決して意固地に国を閉ざし、周りの意見を聞かず闇雲に旧体制を守り通そうとしていたわけではなかったのです。
明治維新の黒幕とは一体誰?武器や弾薬を流通させていたあいつが黒幕だ!まとめ
当時、日本の近代化を目指していたのは幕府側も倒幕側も同じでした。
その明暗を分けたのはイギリスやフランスなどの列強各国の影響度ではなかったでしょうか。
歴史に「if(もし)」はありませんが、もし明治維新に列強の思惑と影響がなかったら、幕府側と倒幕側、どちらが勝利したかわかりません。むしろ幕府側だったのでは、と考える研究者もいます。
いずれにせよ、近代化にはもっと時間がかかっていたでしょうし、もしかしたら戦国時代に逆戻りしていたかも知れません。
日本は産業を活発化して国を富ませ、軍備力もあげて国を強くしたかった、そして列強は日本を近代化して交易をして儲けたかった。そんな思惑がうまく合致して、明治維新という大きな時代のうねりが起こったのです。
参考文献
仕事に効く教養としての「世界史」出口治明
0から学ぶ「日本史」講義 出口治明