神武天皇と卑弥呼の関係とは!謎多き卑弥呼は実は天皇だったの?

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卑弥呼と神武天皇。

どちらも日本の始まりを語るうえでは欠かせない存在ですね。でも、卑弥呼と神武の関係って?そもそも卑弥呼は天皇とは別物じゃないの?

よく考えてみると、ここら辺ってあやふやですよね。今回はそんな卑弥呼と神武の関係を探っていきたいと思います!!

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目次

卑弥呼と神武ってどんな人?

まずは誰もが知っている卑弥呼から解説していたいと思います!卑弥呼は『魏志』倭人伝に登場する「倭の女王」です。

三世紀半ば、男の王が国を治めていた時には国に争いが絶えなかったのに鬼道という呪術に長けた卑弥呼を王にしたところ争いはなくなったのです!

中国の歴史書にも邪馬台国の名と共にその名を知らしめることとなったまさにスーパーウーマンだったのです!

いきなり現れて不思議な力で国をまとめた女の人がこの国のどこかにいた…今の世であっても多くの人たちが惹かれています。

卑弥呼がなくなったあとはどうなった?

筆者も小学生のころ何度も何度も彼女の伝記を夢中で読んだのを覚えています。実は卑弥呼はおばあさんって知った時はかなりショックでしたけどね・・・

卑弥呼亡きあとはしばらく男の長がクニをおさめたものの、再び争いが絶えなくなり、卑弥呼の子女(親戚)の壱与が長になりました。

すると再びクニは平和になっていったのです!卑弥呼の研究ではこの壱与もキーパーソンになっているようですよ。

神武天皇とは?

神武天皇は古事記、日本書紀に見られる初代天皇です。(所説ありますが・・)

「神武」という名前は死後に付けられた漢風の名前で諡号(しごう)といいます、本名はカムヤマトイワレビコノミコトと言います。

以下、こんな名前をいちいち書いていたら大変なので神武という呼び方で説明しますね!!

天照大神の孫であるニニギノミコトが神様の世界から地上に降り立って以来、ニニギノミコトの子孫は九州の日向で暮らしていました。

彼の四代下の子孫の神武と兄のイツセノミコトは平和に天下を治めることを目指して、東へ行くことを決意しました。

これが神武東遷です。

船で紀国にたどり着いたアマテラスが遣わしたヤタガラス(サッカー日本代表のエンブレムの元ネタですね!)の案内の元、反抗勢力を平定しながら大和にたどりつき大王として即位します。

この過程で兄のイツセが戦死したり、しっぽが生えた部族達と仲間になったり戦ったり、結構内容が濃くておもしろいのでぜひ古事記も読んでみてください。

卑弥呼と神武の関係って、なんでよく分からないの?

実は卑弥呼と神武の関係ってよくわかっていません。

なぜかというと日本の国書の『古事記』『日本書紀』には「卑弥呼」も「邪馬台国」も直接登場しないからです。

中国の正式文書である『魏志』倭人伝にはっきり書かれてあるので実在したのはまちがいないんですけど、日本のトップは天皇だし…じゃあ卑弥呼は何者…?

卑弥呼が何者かわからない限り初代天皇の神武との関係も分かりませんよね。

そもそも『古事記』『日本書紀』の情報ってあんまり信用されてないんです。

だってですよ?神武天皇の即位年は『日本書紀』によれば紀元前660年です。考古学的に考えれば縄文時代で、そもそも身分秩序なんてなかった時代です。

このように、「古事記」と「日本書紀」の記述は鵜呑みにできるわけではありません。

かといって、火のないところに煙は立たないと言うように元ネタとなる話はちゃんとあったはずなんです。

この元ネタ、つまり記紀の記述をどう解釈するかによっていろんな説が出てきます。

時代的には「古事記」と「日本書紀」の中に登場しているはずの卑弥呼は、「古事記」と「日本書紀」の中ではどの人物のことなのか、という形で様々な研究が行われているのですが、そもそもの基準がぐらぐらなため本当に様々な説が唱えられています。

卑弥呼の正体は誰なのか、いくつかの説を取り上げて卑弥呼と神武の関係を考えていきましょう。

卑弥呼と神武の関係・卑弥呼は神武の先祖?

卑弥呼の正体として、卑弥呼=天照大神という説があります。

天照大神は「古事記」と「日本書紀」神話の最高神で、太陽の女神です。またの名を大日孁貴(オオヒルメノムチ)と言います。

天つ神のいる高天原の支配者とされ、後には人々から敬われ祀られる神であったと同時に外界からの神をもてなす祀る神でもあるとされています。

太陽神っていうのは本来男の神様なので、その神に仕える女性が陽の神の妻ということで太陽神とされたのではないか、という説があります。

そう、神を祀る=巫女ですね。これって卑弥呼に似ていると思いませんか?

クニのトップが男性ではなく女性。しかも不思議な力を使って国を治めている。こんな特殊な共通点を持つ人物なんてそう多くはいないですよね。

天照の別名オオヒルメノミコトと卑弥呼の名前が似ていることも卑弥呼=天照大神説を支える根拠の一つとして用いられています。

他にも「古事記」と「日本書紀」の中には「これ卑弥呼の逸話にかぶせてきてるでしょ?!」と思うような天照のエピソードがたくさんあります。

もし卑弥呼が天照大神であれば、卑弥呼は神武天皇の先祖ですね。

年代をさかのぼって信憑性を調べていると・・・・

いやもうこれで決まりでしょ?と思ってしまいますが、年代に無理があります。ああ残念・・・

「古事記」と「日本書紀」に書いてある年代を鵜呑みにするのは無理があると先ほど述べましたが、実在を確定できる天皇から年代を遡っていくことで大体の年代を導き出すという方法をとると天照大神の推定没年は紀元前2世紀から紀元前1世紀になるそうです。

一方で卑弥呼の没年は247年から248年の間・・つまりアマテラスの没年からは300年以上隔たってるんです。これを誤差というには…少々無理がありますね。

卑弥呼は神武の子孫

引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki 倭迹迹日百襲姫命の宮内庁治定墓

卑弥呼=神功皇后、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみことと呼び古代日本の皇族)、倭姫命というように、卑弥呼は神武の子孫なのではないかという説もあります。この三人について見ていきましょう。

神功皇后説

まず神功皇后説から解説していきます。

神功皇后は仲哀天皇の妻なのですが、九州へ熊襲討伐に行った際に神様が憑りついて神意を伝えています。

また仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)が急死した際には彼のあとを継ぐことになります。

神功皇后は三韓討伐のため臨月のお腹をしばり出産を遅らせたといいます。なんとも過激なことしますね・・・・

三韓討伐の証として石上神宮の七支刀が有名ですが、神意を伝える、これは巫女の仕事に共通していますよね。

しかも仲哀のあとを継いでほぼ王位と言ってもいいような権力を握っているし不思議な力も持っている。

また、「古事記」と「日本書紀」の神功皇后についての記述があるところに、『魏志』倭人伝の存在についても銘記されています。でもやっぱり人妻だし、平和的解決っていうよりは武力で解決しちゃったのでどうなのか、、、となっています。

倭迹迹日百襲姫命説(やまとととひももそひめのみこと)

次に倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)説。彼女は孝霊天皇の皇女で、卑弥呼の墓と言われている箸墓古墳に入っていると言われている人物です。彼女の旦那さんは何と三輪山の神様!

神様と結婚=巫女とも考えられます。

墓の特色や巫女的な性格を持つことから彼女こそ卑弥呼なのでは?という説もあるのですが、何せ地位に違いがありすぎる。

仮にも倭人伝には女王と記されている人物を皇女にとどめておくか、、、?という矛盾点があります。

倭姫命説

次に倭姫命。

彼女は天照大神に仕える巫女でした。いろんな朝敵を討伐しまくった日本武尊の叔母にあたる人物で、タケルに草薙剣を与えたり、日本武尊の父景行天皇そっちのけで彼を全力サポートしたりします。

つまり、天皇以上に権力があった人物だと推測できます。

天皇以上に権力がある=女王とも言えそうですが、日本ではスーパースターの日本武尊に倭人伝は全く触れてないんですよね。

考古学的な手掛かりがあまりないからか、神功説や倭迹迹日百襲姫命説よりはマイナーな説だそうです。

卑弥呼は神武の敵対者

卑弥呼=土蜘蛛(つちぐも:古代、ヤマト王権側から異族視されていた部族)である田油津媛の先代説など、そもそも卑弥呼はヤマト王権の人物ではないのではないかという説も結構あります。

土蜘蛛とは、「古事記」と「日本書紀」において大和朝廷に従わなかった土着民を蔑んで言う言葉です。つまりヤマト王権の神武にとって卑弥呼は倒すべき敵だったのではないかという説ですね。

実は卑弥呼が生きている辺りの時代、ヤマト王権はまだ絶対的な権力を確立していたわけではありません。

「古事記」と「日本書紀」には蝦夷や熊襲の討伐という言葉がよく出てきますが、それは討伐の数だけ他にヤマト王権以外の部族がいたということなんです。

そしていくつかの部族の長は巫女的性格を持つ女性だったという話も残っています。

卑弥呼はヤマト王権との対立で優位に立つために中国の権威を借りようとした部族のうちの一つの長とも十分考えられますよね。ちなみになぜ先代なのかというと、壱与=田油津媛というところから始まる説だからです。

神武天皇と卑弥呼の関係とは!謎多き卑弥呼は実は天皇だったの?まとめ

神武天皇と卑弥呼の関係について卑弥呼は神武の先祖、子孫、敵対者という視点でお話してきましたがいかがでしたでしょうか?

どの説も納得できる部分もあれば難点もあり、なかなかこうと言い切ることができません。歯がゆい気もしますが、それが卑弥呼と神武の魅力でもあるのかもしれません。

皆さんも自分なりに卑弥呼と神武の関係を考察してみると楽しいかもしれませんね!!

参考文献
鯨 清(1979) 『卑弥呼~神武天皇までの謎を解明 日本国誕生の謎』
坂田 隆(1988)『卑弥呼と倭姫命 コンピューターと金石文で探る年代論』
竹田桓泰(2011)『現代語 古事記』
西谷 正(2010)「邪馬台国最新事情」『石油技術協会誌』 第75巻 第4号
須藤慶太(2020)「ここが知りたい!日本書紀」『芸術新潮』2月号
田中英道,田中英道ホームページ 美の探究者 歴史と思想を語る,なぜ卑弥呼神社がないのか,2015,閲覧日2021-6-4,
http://hidemichitanaka.net/?page_id=1124

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