藤堂高虎が遺した名言9選!

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藤堂高虎という戦国武将を知っていますか?

仕える主をなんと7回も変えながらも、あの徳川家康から絶大な信頼を得た大大名です。

今回はそんな世渡り上手な高虎が遺した遺訓200ヶ条に触れ、彼の遺した名言を紹介します。

片田舎から32万石の大大名になった高虎の名言は、きっと現代を生きる私たちにも通ずるものがあるはずです。

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目次

藤堂高虎と遺訓200ヶ条

藤堂高虎といえば、仕える主を7度も変えた世渡り上手というイメージが強いかもしれません。

それゆえに「ゴマすり野郎」と他の武将から実際に揶揄された事もあります。

しかし本当にゴマをするだけで滋賀県の片田舎から32万石の大大名になれるでしょうか?

肉親でも血で血を洗うような事が起きていた時代です。

単なるゴマすりでは少しのボーナスがもらえても信頼はされないでしょう。

あちこちにゴマをすっていれば、いざという時には裏切るかもしれないと思われるはずです。

しかし高虎は何度も主を変えながらも最後には、徳川家康から譜代並みの信頼と大出世を勝ち取りました。

そう、その大出世の真髄が刻まれているのが、高虎の遺した遺訓です。

世渡り上手の高虎

実際、高虎は世渡り上手であったと言えるでしょう。

しかしそんな高虎も生まれた時から世渡り上手であった訳ではありません。

実は仕えた先で同僚と喧嘩をして、そのまま出て行き各地を放浪するといった事もしています。

案外人間味があるなと思えるエピソードの1つです。

そんな人間味のある高虎だったからこそ単なるゴマすりではなく、本物の忠義で信頼を勝ち得て世を渡っていったのです。

高虎の忠義がどれほど本物だったかを示すエピソードはたくさん残っています。

中でも有名なのは、徳川家康が亡くなる数日前、高虎に「来世ではお前に会えないのが残念だ」といったものです。

家康のその言葉を聞いた高虎は「私は来世も家康様にお仕えするつもりです。日蓮宗から家康様の天台宗に改宗しますので来世でもまたお仕えできます」と答えました。

その後、東照宮の家康像の隣には高虎の像が安置されました。

家康が高虎の忠義が本物だとしっかり理解していたのがよく分かるエピソードです。

高虎が遺した遺訓は204個も!

そんな高虎は晩年、その忠義の心得を家臣の太神朝臣惟直(おおみわのあそんこれなお)に語りました。

それを書き記したものが遺訓200ヶ条です。

ですがこの遺訓、実は追記がされており実際は204ヶ条にもおよびます。

遺訓を書き記した太神朝臣惟直(おおみわのあそんこれなお)は「どれも昔の事なので忘れた事もある」と語っています。

また「ようやく数年存じているものを書きつけた」とも語っていて、おそらく200ヶ条を書き終えた後に、残りの4つを思い出したのでしょう。

それだけの手間暇をかけても書き記したいと家臣に思わせる高虎がいかに素晴らしい人間であったかも伺い知れますね。

高虎の名言9選

それではここから、高虎の遺した遺訓204個から厳選した9個の名言を紹介します。

どれも高虎の人柄を感じられるものであり、現代にも通ずるものばかりです。

自身の座右の銘などにもひとつ、いかがでしょうか?

寝室を出る時から今日が死ぬ番であると心に決めよ

「寝室を出る時から今日が死ぬ番であると心に決めなさい。そのような覚悟があれば物に動ずることはない、これが本来あるべき姿である」

毎朝、目が覚めて寝室を出る度に今日が死ぬ番と覚悟を決める事を繰り返す。

まさにその身を粉にして主に尽くして出世を果たした高虎らしい言葉ですね。

現代においても何かと物騒な世の中ですから、それぐらいの覚悟をしておけば小さな失敗にも動じる事なく過ごせるかもしれません。

常に心くばりをせよ

「常々諸事に心くばりがありたしなみのある人はいざという時戦功があれば、さすが心がけがいいから侍の本分を遂げたという評判にあう。

うまくいかずに不首尾であっても、普段から心がけの深い人であったのに仕方がなかったのであろうと取り沙汰される。

よきにつけあしきにつけ外聞がよい、これも徳といえよう」

普段から色んな事に目を配り心を配る事を、高虎はけっして怠りませんでした。

そうした人はいい事があれば普段の行いがいいからだと褒められ、逆に悪い事があってもあの人で無理なら仕方がないと噛みつかれないと分かっていたからです。

これも現代で十分に活用できる名言ですね。

普段から態度の悪い人がいい結果を出しても、まぐれだと言われる場面はよくあります。

たまにではなく、いつも心くばりを忘れない人になりたいですね。

出陣する時、敗戦の覚悟をせよ

「出陣の時、敗戦する覚悟は当然の事である。勝った時には必要がないが、もし敗戦の時うろたえないためである」

常に成功する事だけを考えると、いざ失敗してしまった時にどうすればいいのか分からなくなりますよね。

どんな物事にも絶対というものはありません。

家来にはまず情をかけよ

「家来にはまず情をかけ、諸事見逃す事が肝心である。もし大それた事があった時には自分の不運であるとしなければならない、理非をもって申しつけるべきである。

しかし助けてもよい理由があればその点についてよく考えて、切るのは遅くてもよいと申し伝えている」

高虎は家来と言っていますが、現代においては部下や家族に置き換えてみるといいですね。

小さな事に目くじらを立てずに見逃して、もし大事があればまずはそれに巻き込まれた自分の不運を認める。

そして正しいのか正しくないのかをきちんと考え処分を下す、簡単に聞こえますが案外難しい事です。

高虎の懐の深さがよく伝わりますね。

人の中傷を聞いてはならない

「人の中傷を聞いてはならない、人を監視する事は災いのもとである。たとえ告げ口を言う人がいても、言う人と言われる人の間では普通に挨拶を受けるべきである。すべて何事も聞かなかったように振る舞うべきである」

これは筆者も耳が痛くなる名言です。

現代では人の監視がしやすくなり、人の中傷も耳にしやすくなりました。

誰かへの愚痴や悪口を簡単に吐き出せるツールもたくさんあります。

しかしそういったものは結局、問題のもとにしかなりません。

一度原点に立ち返り、便利な位置情報の共有サービスを止めてみたり、SNSばかり見るのを止めてみたりするのもいいかもしれませんね。

召使いに良い者悪い者はない

「召使いに良い者悪い者はない。それぞれの得意としている所を見いだし、それぞれに使えば人に屑はない。できない事を申しつけるから埒が明かずに結局、腹を立てるようになる。それは主人に人を見る目がないからである」

これも当たり前のようで、実際にやろうとすると難しい事です。

よく「夫は家事ができない」と怒る女性を見ますが、そもそもできない事を押しつけているからうまくいかないんです。

職場でも「あいつは仕事ができない」と怒る上司がいますが、それは上司が部下の力量を見極められないからうまくいかないんです。

人に何かを任せる際に忘れがちな、任せる側の責任を改めて教えてくれる名言です。

主人の前に出る時は挨拶が肝心である

「主人の前に出る時はその時に応じた挨拶が肝要である。

主人の顔色が悪い時、もしや自分に誤りがあったかとかえりみて慎むべきだが、主人が他の人に対して機嫌が悪い事もあるのでそれを自分の事と考えて不快な顔をするのは間違いである。

常々主人がよく見えて情があるような時はなお身を慎むのが肝要である。良い事の次には悪い事があると心得るべきで、このようにたしなめば主人の気分を損なわない」

挨拶が肝心なのは当然ですが、高虎は相手の顔色もしっかりと伺った挨拶を心がけていました。

相手が落ち込んでいるのにテンション高く挨拶をしたら喧嘩になりかねませんよね。

かといってその落ち込みに釣られてもいけない。

相手が不機嫌だからといって、自分も不機嫌になってはいけない。

簡単な事ですが、やはり難しい事ですね。

恥ずかしい話ですが、筆者はよく相手に釣られて不機嫌になってしまいます。

高虎のように慎み深くなりたいものですね。

分不相応の見栄を張ってはならない

「分不相応の見栄を張ってはならない。武具刀脇指鑓着類など一通りはたしなむべし、その他は身代に応じるべきである」

仕事に必要な物などはそれなりに良い物を持って、それ以外は身の丈に合わせた物を持つ。

実に高虎らしい考え方の名言です。

現代においても、収入に見合わない高価な家に住んだり、高級車やブランド品を持つのはあまり好感の持たれるものではありません。

その逆で収入に見合わないみすぼらしい格好をしているのもあまり好感が得られるものでもありません。

分不相応の見栄を張らず、身の丈に応じる事を心がける事は何よりも、自分のためになる事ですね。

尽くしても気づかない主人ならば暇をとるべき

「数年昼夜奉公を尽くしても気のつかない主人ならば譜代であっても暇をとるべきである。うつらうつらと暮らすのは意味がない。情深く理非正しければなりふり構わず働いて、譜代の主人であるからと情けをもって考え直してとどまるべし」

これはまさに高虎らしさの塊のような名言です。

尽くしてもそれに気づいてもらえないのでは意味がありません。

会社や恋人は、自分が尽くした事に気づいてくれているのか、そして尽くした分をきちんと返してもらえているのかどうか。

もし気づいてくれていないのなら、返してもらえていないのなら、どうするべきか考えさせられますね。

藤堂高虎が遺した名言9選!まとめ

いかがだったでしょうか?

高虎の遺した名言は、従来のゴマすりや単なる世渡り上手といったイメージを覆すものだったかと思います。

ちなみに高虎は字が上手くなく、漢字があまり書けない人でした。

直筆の書状と代筆の書状を見比べると、どちらが直筆か一目で分かるほどです。

立派な功績を成し、こんなにも現代に通ずる名言を遺した高虎も、私たちと変わらないひとりの人間だと親近感が抱けるのではないでしょうか。

【参考文献・参考サイト】

『藤堂高虎公と遺訓二百ヶ条』著:福井健二 公益財団法人伊賀文化産業協会

『藤堂高虎文書集』監修:角舎利 編著:福井健二 公益財団法人伊賀文化産業協会

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