忠臣蔵の悪役たちも言いたいことがある!?悪役の真の姿とは?

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忠臣蔵の話とは、この2人の善悪の戦いから始まります!!

浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)赤穂藩主の良い人!VS吉良上野介(きらこうずけのすけ)悪い人!

しかし、よく見ていくと善悪の関係は、もっと複雑です。

また吉良上野介は決して悪い人ではありません。悪い人という風評被害をうけたかわいそうな歴史人物だと言えます。

悪い人と言われるようになったのは、脚色された創作物のせいであって決して史実の吉良上野介が悪い人というわけではないのです。

さて、忠臣蔵という創作物には、赤穂藩家老・大石内蔵助VS上杉家家老・千坂兵部、江戸の民衆VS徳川幕府、こんな対立も書かれているのです。

悪役側にも事情があって、仕方なく悪役をやっていることもわかってきます。

忠臣蔵で本当に悪いヤツは誰なのか???その真相に迫ります!

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目次

吉良上野介を忠臣蔵の悪役にした黒幕とは!?

創作物である忠臣蔵の最大の悪役は吉良上野介に間違いありません。

赤穂藩・浅野内匠頭をネチネチとイジめる姿は、恨まれて当然と誰からも思われるでしょう!!

しかし、史実における吉良上野介が赤穂藩士に殺害される原因は恨みだけとは言い切れません。

当時のルールで、「喧嘩両成敗」というものがありました。

昔はよく兄弟喧嘩をすると親がそういって止めにはいったものですが今は全然聞かなくなりましたね。

喧嘩をした場合は、両方に責任があるので、両方に罰を与えるというものです。

喧嘩両成敗のルールからいえば、斬りかかった赤穂藩主・浅野内匠頭も斬られた吉良上野介もお互い罰を受けることになります。

ところが、実際には浅野内匠頭は切腹しましたが、吉良上野介は外出禁止になっただけでした。

不公平な罰の理由とは!

これは不公平すぎますよね!どうしてこんな不公平な罰になったのか?

それは、吉良上野介の息子が上杉家藩主・上杉綱憲(うえすぎつなのり)だったからです。米沢藩(今の山形県)上杉家は、戦国大名・上杉謙信から続く名門でした。

徳川幕府からすると、力のある家が続くことは徳川幕府へ反抗する可能性があると考えたのです。

徳川幕府としては、上杉家の力をなくすタイミングを狙っていたのです。

わざと不公平な罰を赤穂藩にすることで、赤穂藩士たちの不満を吉良上野介に向けることに成功します。

吉良上野介を狙って赤穂藩士たちが騒動を起こせば、吉良上野介の息子である上杉綱憲は上杉軍とともに助けに来ると考えます。

江戸の街中で大軍を動かせば、徳川幕府への反抗を考えていると噂をさせれば、上杉家にも罰を与えることができます。

赤穂藩士たちが計画する吉良上野介殺害計画を利用して、上杉家の勢力を失くすことを考えついたのです。

吉良上野介を悪役にした黒幕は、徳川幕府だったのです。

徳川幕府の陰謀を見破った忠臣蔵の悪役!

忠臣蔵の見どころのひとつは、赤穂藩家老・大石内蔵助の頭脳戦にあります。

吉良上野介殺害計画をなんとか暴こうとする徳川幕府や上杉家を、大石内蔵助はあの手この手で翻弄します。

その最大のライバルが、上杉家家老・千坂兵部(ちさかひょうぶ)なのです。

上杉綱憲をサポートしていた千坂兵部は、当時62歳。千坂家は先祖代々、上杉家を守ってきた親衛隊でした。

徳川幕府が本当に狙っている相手が、上杉家であると気づいていた千坂兵部。

上杉家を吉良上野介殺害計画に巻きこめば、上杉家はつぶれてしまうと考えていたのです。

吉良上野介殺害計画を実行させれば、誰よりも親思いの米沢藩主・上杉綱憲は上杉軍を動かしてしまうことは間違いありません。

上杉家が吉良上野介を助けるために大軍で押しかければ、江戸の街中は大騒ぎになります。

江戸の市民を不安にさせた、または徳川幕府に不満があるのかということで上杉家にいいがかりをつけてくるはずです。

吉良上野介殺害計画を実行させないために、千坂兵部は赤穂藩家老・大石内蔵助の殺害も計画します。

千坂兵部の願いも届かず、とうとう吉良上野介殺害計画は実行されてしまうのです。

吉良上野介の息子である米沢藩主・上杉綱憲は、親を助けに行こうと家臣を招集します。

「これ以上先に行くならば、私を斬ってから行きなさい!」

千坂兵部は、上杉綱憲の前に立ちふさがったのです。

上杉家がつぶれることがあれば、それは赤穂藩と同じく仕事を失う米沢藩士がたくさん出るということです。

上杉家を守るために必死で止める千坂兵部の気持ちを知った上杉綱憲は、親を見捨てるという辛い決断をします。

千坂兵部も上杉綱憲も上杉家を守るため、そして、米沢藩の家臣たちを守るための行動だったのです。

上杉綱憲にして見れば徳川幕府にさえ狙われなければ、親を見捨てるなどすることもなかったと思ったことでしょう。

忠臣蔵の本当の敵は徳川将軍にあり!

徳川第5代将軍綱吉の時代に、赤穂事件は発生しました。

徳川綱吉(とくがわつなよし)といえば「生類憐みの令」が有名です。

「生類憐みの令」というのは、生き物を殺してはいけませんという法律です。

はじめは犬だけを大切にしていたものが、だんだん種類が増えて蚊も殺しちゃダメです!ってなりました。

もちろん、こんな法律は一般庶民に評判がいいわけがありません。

こんな法律を作った徳川綱吉、そして側用人・柳沢吉保(やなぎさわよしやす)が悪いってことになりました。

側用人は将軍をサポートする仕事ですが、将軍はあまり仕事をしませんので、実際の権力は柳沢吉保にありました。

忠臣蔵でも影の悪役として登場する徳川綱吉と柳沢吉保ですが、二人にとってもいいたいことはあるはずです。

江戸時代が平和であった理由は、徳川幕府が巨大な権力を発揮していたからです。

全国の大名が徳川幕府には反抗できない状態だったわけです。

争いの無い平和な時代を続けるために全国の有力大名の力を抑え続けることが必要なのです。

見た目には強硬な方法に思うかもしれないけど、これもみんなの平和のためですからと徳川綱吉も柳沢吉保もいいたいのかもしれませんね。

忠臣蔵の悪役たちも言いたいことがある!?悪役の真の姿とは?まとめ

吉良上野介も千坂兵部も徳川綱吉も柳沢吉保も、それぞれに事情がありました。

忠臣蔵で勝手に悪役にされて迷惑していることでしょう。

魅力的な悪役がいることは、ヒット作品の条件でもあります。

忠臣蔵の作者は赤穂藩士47名以上に、悪役の設定を重要と考えていたのです。

しかし、忠臣蔵で本当に書きたかった悪役は違うところにあります。

本当の悪役は、一般の民衆です。

登場人物の考えも知らずに、勝手に悪役にしてしまう民衆。

赤穂藩士たちを可哀そうな人たちと決めつけ、ヒーローにしてしまう民衆。

どちらも自分勝手で流されやすい民衆の心理によって、いい人にも悪い人にもされてしまうことを書いているのです。

一番悪いヤツは、一般人の心の中ということなのでしょう。

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