誤解が多い坂本龍馬の真実の姿

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坂本龍馬と言えば、薩長同盟を仲介し、江戸幕府の支配の元、閉鎖的であった日本を国際社会へと変革させた大英雄です。

「歴史に詳しくない」という方でも、坂本龍馬の名前くらい知っているという方も多いのではないでしょうか。

しかし、学校の授業では坂本龍馬に関して重点的に教わるワケではないので「結局、何を成し遂げた人なのかわからない」という方も少なくありません。

最近では、歴史と創作の齟齬が原因で、学校の教科書から消されそうになりました。

しかし、多くの坂本龍馬ファンが声をあげ、坂本龍馬の名前は学校の教科書に残り続けています。

何かと歴史界隈を賑やかしている坂本龍馬ですが、歴史を紐解いていくと話題になるだけの理由がありました。

では、坂本龍馬の真実の姿を紐解いていきましょう。

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目次

坂本龍馬の人生

まず基本として坂本龍馬という人物の概要について触れておきましょう。

坂本龍馬は、日本の幕末期に活躍した土佐藩出身の志士です。龍馬は幼少期から剣術を学び、江戸で北辰一刀流の道場に通いました。

1853年の黒船来航を機に、日本の未来を考えるようになり、尊王攘夷運動に参加。

1862年、龍馬は土佐藩を脱藩し、勝海舟の門下生となります。龍馬は海軍操練所の設立に関わり、薩摩藩と長州藩の同盟(薩長同盟)を仲介するなど、倒幕運動に大きな影響を与えました。また、亀山社中(後の海援隊)を設立し、貿易や海運を通じて資金を調達し、倒幕運動を支援しました。

1867年、龍馬は大政奉還の実現に尽力しましたが、同年に京都の近江屋で暗殺されてしまいます。

出生~黒船来航

坂本龍馬は1836年1月3日(天保6年11月15日)、土佐藩(現在の高知県高知市)に生まれました。

坂本家は郷士という下級武士の家柄であり、龍馬の父・坂本八平は才谷屋という商家を営んでいました。龍馬は幼少期から剣術に興味を持ち、14歳の頃から本格的に修行を開始。

龍馬の幼少期は、物語や伝記では弱虫で泣き虫だったと描かれることが多いですが、実際のところそれを裏付ける史料はほとんどありません。龍馬は剣術の腕を磨き、やがて江戸にある北辰一刀流の道場に入門することになります。

1853年(嘉永6年)、龍馬は剣術修行のために江戸へ向かいました。この年は、アメリカのペリー提督が率いる黒船が浦賀に来航した年でもあります。

龍馬は江戸での修行中に黒船来航を目の当たりにし、日本の将来について深く考えるようになりました。龍馬は品川の沿岸警備に動員され、外国の脅威を目の当たりにします。この時期、龍馬は剣術だけでなく、広い視野を持つようになり、国際情勢や日本の未来について考えるようになりました。

龍馬の思想は次第に尊王攘夷から開国論へと変わり、後の倒幕運動や明治維新に大きな影響を与えることになるのです。

龍馬の江戸での修行は、龍馬の人生において重要な転機となりました。黒船来航という歴史的な出来事を通じて、龍馬は日本の閉鎖的な体制に疑問を抱き、改革の必要性を強く感じるようになったのです。

この経験が、後に龍馬が薩長同盟の仲介や大政奉還の実現に尽力する原動力となりました。

脱藩~亀山社中(海援隊結成)

坂本龍馬は幕府の厳しい統制下での生活に不満を抱き、1862年に脱藩を決意します。脱藩は当時の武士にとって重大な犯罪であり、命を賭けた行動でした。

脱藩後、龍馬は薩摩藩(現在の鹿児島県)や長州藩(現在の山口県)などの有力藩と接触し、倒幕運動に参加しました。とくに、薩摩藩の西郷隆盛や長州藩の木戸孝允(桂小五郎)との関係を深めます。

龍馬は幕臣であった勝海舟の弟子となり航海術を学びました。

1865年、龍馬は勝海舟の元で学んだ航海術を活かして、亀山社中という組織を結成。亀山社中は日本初の商社とも言われ、武器の調達や貿易を通じて倒幕運動を支援する目的がありました。

亀山社中は後に「海援隊」と改称され、龍馬の理想を実現するための重要な組織となります。海援隊は、単なる商社にとどまらず、政治的な活動も行っていました。

龍馬は、海援隊を通じて新しい日本の未来を描き、近代国家の基盤を築くための活動を続けました。龍馬は封建制度の廃止や自由貿易の推進など、当時としては革新的なビジョンを描いていたのです。

薩長同盟~龍馬暗殺

1866年、龍馬は薩摩藩の西郷隆盛と長州藩の木戸孝允(桂小五郎)を仲介し、薩長同盟を結びました。

この同盟は、幕府に対抗するための強力な連携を生み出し、後に江戸が政権を朝廷に返上した大政奉還へと繋がります。

1867年、龍馬は「船中八策」と呼ばれる政治改革案を提案。この案は、封建制度の廃止や新政府の樹立を含むもので、後の明治政府の基本方針となりました。

しかし、龍馬の革新的な考えや行動は、保守的な勢力からの反発を招くことになります。

1867年11月15日、龍馬は京都の近江屋で暗殺されました。享年31歳でした。暗殺の背後には、幕府側の勢力や反対派の志士たちが関与していたとされていますが、詳細は未だに明らかになっていません。

龍馬の死は多くの人々に衝撃を与えましたが、龍馬の遺志は多くの志士たちに受け継がれました。

龍馬のビジョンは、明治維新の成功に大きく貢献し、日本の近代化を推進する原動力となったのです。

志半ばで歴史の表舞台から退場することとなった龍馬ですが、龍馬の功績は今も語り継がれ、多くの人々に愛され続けています。

坂本龍馬に関するさまざまな説

歴史は新たな史料が見つかることで日々、刷新されているのはご存じでしょうか。

事実、現在の教科書では、鎌倉幕府の成立年1192年(イイクニ)から1185年(イイハコ)に変更されています。

同様に坂本龍馬の事績についても考古学者の間で論争が行われ、新たな説が浮上し、我々が学校で習っていた歴史が変わりつつあります。

では、見直され始めている坂本龍馬の事績について解説していきましょう。

坂本龍馬は船中八策の起草者ではない?

「船中八策」は1867年に坂本龍馬が長崎から京都へ向かう船の中で後藤象二郎に示したとされる新国家体制の基本方針です。「船中八策」の起草者が龍馬であるとされていたのも、龍馬が歴史的に高く評価されていた要因でした。

しかし、近年では「船中八策」は龍馬が起草したものではないという定説が有力になっています。

では、誰が「船中八策」の起草者なのでしょうか。

最も有力な説としては、開国論を提唱していた勝海舟や大久保一翁です。龍馬は勝海舟、大久保一翁の思想を「船中八策」をまとめただけに過ぎないのだとか。だとすれば、最たる功労者は偉大な先人勝海舟、大久保一翁になるワケです。

しかし、「船中八策」の起草者に関しては諸説あり、龍馬が起草者ではないと断定されてはいません。

坂本龍馬は薩長同盟を仲介していない?

薩長同盟の立役者が坂本龍馬であるというのは有名な話です。

しかし、この説には「待った!」の声が。

龍馬が同盟の仲介などしていないというのです。

そもそも龍馬は脱藩して無位無官の身。龍馬に険悪な薩長の藩主の首を縦に振らせることができるだけの影響力はなかった・・・

確かに理路整然とした根拠です。

では、誰が薩長同盟の立役者だったのでしょうか?それは、28歳という若さで薩摩藩の家老になった小松帯刀です。

元々、外交手腕に長けていた小松帯刀が薩摩藩と長州藩をリードし、薩長同盟を締結させた説が有力であると考えられています。

龍馬に関する新たな説が浮上してくるごとに、徐々に龍馬の影が薄くなってきている気がしますね。

ですが、歴史は日進月歩です。古い定説は淘汰され、研究によって新たな説が生まれることで、坂本龍馬という人物の本当の姿に触れることができるのです。

坂本龍馬ゆかりの地

厳選した坂本龍馬ゆかりの地を紹介します。

おすすめの周辺スポットもまとめたので「坂本龍馬の聖地巡り」の参考にしてください。

天保山公園

坂本龍馬は妻となったお龍とともに、大阪府大阪市港区の天保山から鹿児島へ船で日本人初の新婚旅行に出掛けています。

天保山公園に建立されている「坂本龍馬新婚の旅碑」は、龍馬ファンの間で人気のスポットです。聖地巡りの際は、ぜひ坂本龍馬ゆかりの地である天保山公園に足を運んでみてください。

・天保山公園 アクセス

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おすすめ周辺スポット 天保山マーケットプレースと海遊館

・天保山マーケットプレイス アクセス

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・海遊館 アクセス

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「坂本龍馬新婚の旅碑」が残る天保山公園の近くには、大型ショッピングセンターの天保山マーケットプレースや海遊館など大阪でも有名なアミューズメントスポットが揃っています。

「天保山マーケットプレース」「海遊館」ともに、天保山公園から徒歩で行ける距離です。

また天保山から観光船が出ており、龍馬とお龍も目に焼き付けたであろう景色を船上から楽しめます。坂本龍馬の軌跡を辿る旅の道中に、ぜひ立ち寄ってみてください。

坂本龍馬のお墓 京都霊山護国神社

・京都霊山護国神社 アクセス

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龍馬は近江屋で暗殺された後、亡骸は京都霊山護国神社に運ばれました。

京都霊山護国神社には中岡慎太郎・木戸孝允・高杉晋作といった英雄達のお墓もあり、幕末ファンの聖地になっています。また、龍馬のお墓からは京都の街並みが一望でき景色は最高です。

最寄りの円山公園には、龍馬と中岡慎太郎の銅像が設置されています。お墓にお参りに来た方は、ぜひとも円山公園にも立ち寄ってみてください。

おすすめ周辺スポット 霊山歴史館

・霊山歴史館 アクセス

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霊山歴史館は坂本龍馬のお墓がある京都霊山護国神社に隣接している博物館です。

霊山歴史館は、坂本龍馬や中岡慎太郎などの志士たちの遺品や手紙、武具などを展示しており、彼らの生涯や活動を詳しく知ることができます。また、幕末の京都で起こった重要な出来事や、維新の動乱を描いた錦絵や文書も展示されています。

とくに注目すべきは、常設展と企画展の二つの展示コーナーです。常設展では、倒幕派と佐幕派の両方の視点から幕末維新史を捉え、貴重な資料を常時展示しています。企画展では、新しい切り口で人物や時代をとらえたテーマ展示が行われ、通常展示では見ることができない逸品も展示されます。

霊山歴史館は、教育プログラムや講演会も充実しており、歴史を学ぶ場としても非常に有意義です。特に夏休み期間中には、子ども向けの歴史教室が開催され、楽しく学べる機会が提供されています。

歴史ファンだけでなく、歴史の知識がない方や子供でも楽しめるスポットです。「家族や友人に幕末の素晴らしさを知ってもらいたい」という方は、ぜひ一緒に足を運んでみてください。

まとめ

幕末の英雄、坂本龍馬について解説しました。

歴史の研修が進むにつれて、坂本龍馬関連の新たな説が誕生し、歴史界隈が賑わっています。なかにはそもそも「坂本龍馬は北辰一刀流を学んでいない」という説も浮上しているほどです。次々に新たな説が誕生するということは、現代の日本人から龍馬が注目され、愛されて続けている証拠と言えるのではないでしょうか。

ただし、創作の世界に流されすぎないでください。司馬遼太郎氏のベストセラー「竜馬がゆく」の影響で、創作された龍馬像を歴史の真実だと捉えている人も少なくありません。

坂本龍馬の真実の姿を見るためにも、本記事で紹介した龍馬ゆかりの地に立ち寄ってみてください。自分で体験して偉人達の生涯を自分流に考察するのも歴史の楽しみ方です。

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