大奥と聞いたら、何を連想しますか?女と女のドロドロの争いですか?それとも、男性が憧れる両手に女のハーレム状態でしょうか?
多くの女性を集めて将軍の世話をする大奥というシステムは、古くからありました。
ただ、1000人もの側室と呼ばれる女性を集める大規模なものは、第三代将軍・徳川家光の時代にできたものです。
たくさんの側室を集めた大奥は、女嫌いの将軍様のために作られたものだったとしたら・・・なんだかとても面白そうな話じゃないですか?
今日は大奥誕生の秘密に迫ってみます!
将軍・徳川家光は側室いらずのボーイズラブ!?
徳川幕府第三代将軍・徳川家光は、親から嫌われるという寂しい少年時代を過ごしました。
そんな徳川家光も将来の将軍候補でしたので、身のまわりの世話係が60人ほどいました。
着替え・食事・勉強・遊びの相手と、世話係とのふれあいは一日中です。幼なじみだったのに、いつのまにか好きになっているというのは恋愛の定番ですよね。
徳川家光の場合は、その相手が男性だったのです。
この時代に男性を好きになることは珍しいことではありません。有名な戦国武将たちも身近に美少年を連れていたことは知られています。
昔の日本は今よりも同性愛に開かれた国だったのですね。
家光はやっぱり究極のやきもち焼きタイプ
さて、徳川家光の場合は恋焦がれるボーイズラブだけではありません。好き嫌いが激しい徳川家光に好かれることは、一種の賭けだったのです。
ブサイクで有名な家光に本気で好かれたいと思った人はいなかったと思いますが・・
ある一人の世話係が徳川家光と親しい関係になります。徳川家光はとっても一途なので、その世話係にお金をあげたり食事をさせたりと優しくします。
ところが、この世話係には付き合ってる女性がいることがわかります。
自分だけを見ていて欲しい徳川家光のことです。その世話係をすぐに罪人にして、死刑にしてしまったのです。
この上ない、究極のパワハラとしかいいようがない・・・・
その他にも、「他の男といちゃいちゃしていた」「妻と子供を作った」などの理由で位を下げられたり、領地を取られた世話係もいたのです。
愛する彼氏にはめちゃくちゃう優しい家光
その反面、好きになった人には徹底的に尽くすところが徳川家光のかわいいところ。
徳川家光のブレーンとなった六人衆といわれる人たちも、実のところ徳川家光の恋のお相手だったという噂もあります。
将軍・徳川家光に好かれれば大出世、嫌われれば命の危機。 江戸時代であっても、上司に気にいられることは今と同様・自分の人生にかかわる重要なことだったんですね。
徳川家光の男好きのせいでお世嗣ができない問題!
将軍の一番の仕事とは何でしょうか。日本の平和を守ること?経済を活発にすること?
いえいえ、次の将軍を作ることです。
徳川家光の血を引いた、直結の子供に将軍職を継がせることが最大の仕事なのです。
そのためには、将軍様が男好きではいつまで経っても子供などできるはずはありません。
ところが、徳川家光の男好きはかなりの筋金入りで、普通の女性では見向きもしません。
男好きの家光のため男装をした側室の誕生
これを心配したのが、養母でもある春日局(かずがのつぼね)でした。
なんとかして女性に興味を持ってもらおうと、春日局はいいアイデアを思いつきます。
大奥にいた女性の一人を美少年に変装させることだったのです。
髪を短髪にして男性の格好をさせて、徳川家光の身のまわりの世話をさせることにします。
もともと綺麗な女性だったのですから、男性姿にさせれば美男子になるに決まっています。
今ならまるで宝塚歌劇団の男性役のようなものです。
徳川家光はこの“イケメン女子”にまんまと食いついたのです。
春日局のアイデアも虚しく家光に子はできず・・・
この女性はお万の方(おまんのかた)といわれ、徳川家光もとっても気に入り愛したとされています。
残念ながら、徳川家光とお万の方との間には子供は生まれませんでした。
それでも、養母・春日局が亡くなったあとの大奥を、お万の方に任せたというのですから、徳川家光の深い愛が感じられる話ですね。
女性に目覚めた徳川家光の側室選びにはこだわりがあった??
春日局が考えた女性の男性化作戦はみごとに大成功しました。お万の方を好きになったことで、徳川家光は男好きから女好きに変貌したのです。
徳川家光の嫉妬深い性格は、ある面では物事を突きつめるタイプともいえます。
一度興味を持つと、とことんこだわってしまうところがあったのです。
はじめから大奥にいる女性たちは、公家や大名の娘が多いので身元はしっかりしています。
その分、あまり面白みのない女性に徳川家光は感じたのでしょう。
徳川家光の側室たちの生い立ちは、とてもカラフルです。
徳川家光の最初の男の子を産んだ女性は、お楽の方(おらくのかた)といいます。
お楽の方は、今の栃木県出身の古着屋の娘で、その美しさの評判を聞いて側室として大奥に入れました。
お楽の方が生んだ男の子が、のちの第四代将軍・徳川家綱(とくがわいえつな)になります。
また、のちの第五代将軍・徳川綱吉(ときがわつなよし)を生んだお玉の方(おたまのかた)は八百屋の娘でした。
しかも、お玉の方はお楽の方の世話係でもあったというから驚きです。
自分の世話係に男をとられたお楽の方が気の毒になってきます。
ちなみに、高い地位や金持ちの男性と結婚する「玉の輿に乗る」ということわざは、お玉の方の出世エピソードが語源になっています。
こうして江戸の市民からも可愛い美しい女性を集めた徳川家光の大奥は、あっという間に1000人規模になっていったのです。
養母である春日局もここまで成果が出るとは、予想もしていなかったことでしょうね。
側室好き徳川家光にひどい扱いを受けていた本妻がいた!?
好きになったら一途。
興味があるものにはどんどん手を出す徳川家光ですが、嫌いなものへの冷たい扱いはひどいものです。
まだ男性好きだった頃の将軍・徳川家光に、正式な奥様になった女性がいます。
鷹司孝子(たかつかさたかこ)という公家の娘です。
鷹司家は公家の中でも地位は高く、その母親は佐々成正(ささなりまさ)の娘だったといいます。
佐々成正は、あの戦国の風雲児・織田信長の信頼厚い家臣だったのですから、父母ともに由緒正しい家柄です。
この育ちも家柄も良い文句のつけようのない奥様を、徳川家光は嫌っていました。
嫌った理由ははっきりしません。
おそらく徳川家光の女性の好みが、ちょっと変わっていたのではないかと思います。
ほとんど会うこともなく、ひとつの屋敷を与えて監禁生活を送らせます。
もちろん子供を作ることもありませんでした。
正式な妻である自分にひどい扱いをして、一方で側室を次々と採用しては子供を産む。
女性としても人間としても傷つける徳川家光の性格の悪さが表れています。
鷹司孝子にとって救いだったのは、第四代将軍になる徳川家綱がよく遊びに来たことでしょうか。
優しく気の利く人柄だったとされる徳川家綱は、自分の母親同様に鷹司孝子のことも気遣っていたようです。
きっと母親であるお楽の方の育て方も良かったのでしょう。
最期まで夫である徳川家光に愛されることのなかった本妻・鷹司孝子は、徳川家光の意地悪い性格の犠牲になった気がします。
徳川家光は男好き!?徳川家光がしたことを簡単に解説!側室1000人の大奥誕生の理由とは?まとめ
少年時代の環境から男性好きになってしまった第三代将軍・徳川家光。
その男性好きを春日局のアイデアでみごと克服することができました。
このことをきっかけに大奥は規模も大きくなり、将軍の血を絶やさないという役割も重要性を増しました。
徳川幕府政治の安定のためには、この大奥制度は必要であったと思います。
ただ、女性を多く抱えることでお金もかかることになり、また、大奥のご機嫌を取ることも必要になるというマイナス面もありました。
それでも、いろいろなドラマを生みながらも大奥は江戸幕府の終わりまで続くことになるのです。